【12、高齢の親の家の片付け】





ゴミ屋敷にならないか心配! 


まず親の家にどのようなものがあるか、確認してみましょう。


  ゴミ屋敷チェックシート  作成(C)くらしかる



チェック 品物

サイズが合わない靴や洋服がたくさんある

贈答品が箱に入ったまましまわれている

使われることのない電化製品がある(ミシン、ポット、扇風機など)

来客用のl高級食器が必要以上にある

紙袋やビニール袋が100枚以上ある

使われていないきれいな箱やかわいい缶がある

押し入れに使われることのない布団がある


実家に帰った時に、この項目にあてはまるものがないか確認してみましょう。チェックが多


ければ多いほど、実家がモノで溢れかえらないように注意する必要があります。



『老前整理のセオリー』より





長期戦の覚悟が必要


 高齢の親の家の片付けは、たぶん遺品整理よりも大変だと思います。


 なぜかといえば、遺品整理は膨大なものと思い出を片付けていくことですが、親の家は、


親との戦いともいえます。


 そんな物騒なと思われるかもしれませんが、ものを捨てたくない親と、ものを捨てないと


ゴミ屋敷になる事を恐れる子どもの攻防になるのです。


 自分の家、自分のものなら勝手に処分もできますが、親の家、親のものとなると話が違い


ます。親子といえども勝手に処分はできず、一つずつ了解を取り、本人が納得したうえでな


いと処分できないからです。長期戦になることも覚悟してください。






ショックを受ける


 遺品整理であれば、持ち主はもういませんから判断は片付ける人間に一任されます。しか


し、高齢の親の片付けは一筋どころか二筋縄でもいきません。


まず遠くに住んでいる、仕事が忙しいからと生家に帰るのもままならない状態が続いた場


合、家に帰ってみるととんでもないことになっていたということも往々にしてあるのです。


 電話の「元気で暮らしているから大丈夫」という言葉にすっかり安心してしまうのです。


しかし、実際の家の中は物が散乱し、足の踏み場もないほどになっていたりします。


特に高齢でひとり暮らしを続けていると、その状態が当たり前になってしまいます。


 若い頃はあんなにきれい好きだったのに。整理整頓にやかましい人だったのに。洗濯もの


や洋服がタンスに納められずにあちこちに山積みになっているかと思えば、洗濯してないも


のも混じっているようだ。


 新聞もテーブルの上に乱暴に積み上げたまま。いや、積み上げてあればまだいいほうかも


しれません。流し台の汚れた食器もそのままで、ゴミにしか見えない物が、袋に入ったまま


放置され、いやな匂いがする。


 また、何が入っているかわからない紙袋や白いビニール袋が部屋のあちこちにある。袋の


中には食べかけのお菓子や死んだゴキブリまで入っていて、中をのぞいてぎょっとする。


 スーパーのビニール袋が大きなごみ袋何枚分もあって、信じられないと思われるでしょう


が、こういうケースはまれなことではありません。しかし、こんなことを他人様には恥ずか


しくて言えず、悩んでいる人が多いのが現状です。






「もったいない」の結果


 なぜこうなるのかという原因は食器棚や収納庫にものをしまわないからこうなるのかと思


えば、それだけでもない。


 そこには数々の鍋やガラス瓶、プラスチック容器、紙袋が物入れの棚を占領している。


これらを使いきるのに何年かかるのだろうか。また変色していたり、古くなったものまでご


丁寧に残してある。古い洋服も捨てられない。


 そのまま捨てるのはもったいないので洋服も雑巾にするというが、段ボールの箱に雑巾は


山ほどあり、使った形跡もなく、部屋の中はほこりがたまっている。


 なぜ、そのようなガラクタまで残してあるのでしょうか。一番の理由は「もったいない」


です。戦後のもののない時代を過ごしてきたのだから、まだ使えるものを捨てるなんてもっ


たいない。お菓子の箱もきれいな包装紙やリボンも使えるのだから捨てられない。


粗末にできない。


 わたしたちの多くは、自分が老いるとは考えたくない、まだまだ元気だと思いたいもの。


他人の老いは目についても、自分の老いはなかなか認められない。どこかで線を引かないと


ものは溜まるばかりなのに、「いつか」「そのうち」で気がついたらどうにもならない状


況ということではないでしょうか。


 これは気持ちの問題だけでなく、体調も関係しています。


 若い頃と違って、雨の日や寒い日は膝が痛むとか、外へ出るのがおっくうだとか、行動も


その日の天候や体調に左右されます。暑い日は熱中症にならないように気をつけなければと


か。寒ければ寒いで、風邪をひかないように、雪で転んではいけないと外出を控える。


また、あれをしようこれをしようと思っても、すぐに身体が動かない事もままあるでしょ


う。こんなことが重なると、おっくうになり、ますます片付けができなくなります。


 というより、もうそんな事はどうでもよくなるのかもしれません。これは怠けているのと


は違います。また、いわゆるゴミ屋敷とは違います。またご本人もそんなことを言われれば


「とんでもない」とおっしゃるでしょう。


一度こういう状態になると、これを元に戻すのには何倍ものエネルギーが必要になります。


「誰かに助けを求めれば」と言うのは簡単ですが、家の中のことで他人には体裁が悪い、か


といって息子や娘には迷惑をかけたくない。そもそもそれができるくらいならこのような状


態には陥らないでしょう。


 体の面で付け加えれば、視力の問題もあります。だんだんに細かい文字が見えにくくなっ


ている。食品庫の中の干椎茸や缶詰など食品の賞味期限の数字が読みにくくなっているかも


しれない。


 部屋の隅のほこりもよく見えていないかもしれない。ゴミにも気付かなくなっているかも


しれない。そして慣れてしまうと、それが当たり前になってしまう。


 しかし、離れて暮らす子どもが久しぶりに実家に戻ると、なぜこうなってしまったのか全


く理解できない、私の親はどうなってしまったのかと思うのです。


 ご本人に言っても、「わかった」とか「そのうち」とかで、うるさく言うと、怒り出す始


末で手におえないこともしばしばあります。






ゴミが出せない


 またゴミを処分したいと思っても、今の分別の方法が分からなかったり、普通のゴミでは


出せないもの、大きなもの、重いものをどうすればよいのかわからない。


 もちろん、パソコンを使う世代ではありませんから、回覧板や市の広報など情報も限られ


ています。


 出す日を間違って、ご近所の人に嫌味を言われたから二度と出さないとか、ささいなこと


で今までできたことができなくなり、途方に暮れながら、月日ばかりがたっていくという場


合もあるのです。


 このように若い人にとっては何でもない事が、高齢になるととてもやっかいになってしま


うのです。






片付けと始末


 始末というと、どういうことを連想されるでしょうか。辞書で「始末」をひくと、(物事


の)しめめくくりをつけること、片付けること、処理。という意味が一つ。


 もう一つは、無駄遣いをしない事、倹約することとあります。そこで、親に片付けよう。


始末しましょうと言った場合に、「冥土への準備」と思われる場合と、倹約の始末と取られ


る場合があります。


 高齢の母親に、ものが多すぎるから始末しようと娘が言うと、ほとんどの場合、「死ぬ準


備をさせられる」とか「早く死んで欲しい」という遠回しの言い方だと誤解されます。


しかしこれも実の娘だから言えることで、嫁がこんなことを言おうものなら「うちの嫁は私


に早く死んで欲しいのよ」とご近所に鬼嫁として吹聴されるかもしれません。


ここが嫁姑の難しいところですね。


ところで、娘が「始末」の話をしても、母親は良い顔をしません。もちろん、多くは口げん


かになります。母娘ゆえの遠慮のない言葉というのもありますし、感情の問題もあります。


「なぜ始末しなければいけないのか」「なぜ今のままでいけないのか」母親には納得のいか


ない事ばかりでしょう。


 そこで、何度も説明し、床にものが多くて転んでは大変だし、探し物にも時間がかかる。


 掃除の手間もあるでしょうなどと、なぜ始末しなければならないかを話さなければなりま


せん。


 穿った見方をすれば、遺品整理が大変だから、今、片付けさせようとしているのだろうと


か、財産目当てで、金目のものを持っていくつもりではないかというような妄想につながる


こともあります。


こうなると疑心暗鬼になり、片付けどころではなくなり、親子の関係も危機に陥ります。


 このあたりも日頃の関係や、話の持っていきかたによると思います。また、何度も話し合


うことも必要になります。ようやく古い洋服や着物を始末する段になっても「もったいな


い」「まだ着られる」と元に戻したりして、「どうして?」と大声を挙げたくなることもあ


るでしょう。


 なぜなら高齢になると、次々に新しい洋服を買い替えるわけにはいきません。


 これは年金生活という経済的な問題もありますし、若い頃のように季節ごとにバーゲンセ


ールに行けるわけでもない。つまりお金も機会も限られているので、ますます今あるものを


大切にしなければという思いが強くなります。だから余計手放せないのです。


また「始末」をするということは、自分の老い先が短いことを「認める」ことだと思う場合


もあるようです。


 いわゆる「縁起でもない」というやつでしょうか。口には出さなくても高齢者はこのよう


な話題には敏感です。


 そして一番強力なのが「思い出」です。思い出のあるものは、ぜひその背景の物語を訊い


て下さい。


何回も同じ話を聞く事になっても遮らずに聞いて下さい。そんなことをしている時間はない


と思われるかもしれませんが、親孝行だと思い三回まではとにかく我慢して聞いて下さい。


 こうして話をしながら、思い出に向き合い、どうしてそれが捨てられないのか、どんな大


切な思い出があるのか聞いてみてください。


 成人してから親とゆっくり話す機会がどれほどあったでしょう。特に男性は良い機会と思


い、色々な話を訊いて下さい。このような機会でもなければ話をすることもなかったかもし


れないのです。




 


ここまでは高齢の母親つまり女性の話ですが、高齢の男性の場合は集めたコレクションに囲


まれていたいという思いが強く、女性の手放せないとは少し意味が違うようです。


 それは蔵書だったり、自分が描いた油絵、レコード、写真、釣り道具などの趣味のものが


多く、洋服や日用品などは少ないでしょう。これは男性のこだわりを表しているのかもしれ


ません。


 また男性の場合これらのものを元気なうちに始末するという発想はなく、子どもや残った


家族が何とかしてくれるだろうという楽観的な考え方が多いようです。


 このなんとかなるだろうタイプの人には、膨大なコレクションを今後どうするか尋ねてみ


ること、つまりコレクションをだれがどのように継承するかです。


 永遠の命はありませんから、何時かはコレクションと別れなければならない日が来ること


を覚悟してもらわねばなりません。高齢の親にそのような事を訊くのは残酷だと思われるか


もしれませんが、山のようなコレクションを残されて始末に困るのは家族なのです。


 またその価値もわからず廃棄処分になってしまうことを想像してみてください。譲れるも


の、譲れる人、処分の方法がわかっていれば、家族の負担は減りますし、貴重なコレクショ


ンを生かすことにもつながります。              



『心と暮らしを軽くする「老前整理」入門』より




     





























                              

             
                                                                               


                                                                    





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